Laurens Hof(ローレンス・ホフ)著 2026年4月3日 / エッセイ
原文:Reflections on AtmosphereConf
Atmosphereカンファレンスの4日目、わたしはキャンパスを離れ、人類学博物館まで歩いた。3日間ずっと人と話し続けていたので、違うテンポで考える必要があった。
博物館はUBCキャンパスの端にある。杉の木に半ば隠れたブルータリスト建築のコンクリート構造物だ。彫刻像や曲げ木の箱が並ぶ低い廊下を抜けると、空間が一気に開け、グレート・ホールに出る。天井は高さ十数メートルのガラス壁に向かってせり上がり、その向こうに木々の稜線と、さらにその先に海峡の灰色の水面が見える。ホール全体にモニュメンタルな杉のポールが立っている。黒と赤のフォームライン様式で彩色されたもの、風雨にさらされて淡い銀色に変わり、何十年もの露出で彫刻の輪郭が柔らかくなってから屋内に移されたもの。わたしが訪れた日は曇りで、ポールたちはその光を背にして発光しているように見えた。
もっとも古いポールはハイダ・グワイのハイダ族の集落跡から運ばれたものだ。ある展示はクーナ・ルナガーイ(K'uuna Llnagaay)という集落について説明している。最盛期には26の家屋と50本以上のモニュメンタル・ポールが海岸線の上に並んで立っていた。1880年代までに天然痘の流行が人口を壊滅させ、生存者たちは他の集落に移り、村は空になり、ポールだけが残った。やがてその一部がここに運ばれた。伝統的な体系において、杉のポールは恒久的なものではない。数十年は持つが数百年は持たず、朽ちればその旧いポールが世界に向かって担っていた権利の主張を再確認する儀式のもと、新しいポールが建てられた。博物館が空調管理されたコンクリートのホールで保存しているのは、はじめから交換されることを前提に作られたものだ。
その近くには、ホール一面にフィースト・ディッシュ——海の生き物の形に彫られた巨大な器——が並んでいる。なかにはポトラッチで何百人もの客にふるまう食事を盛るほど大きなものもある。これらは見事な造形物であり、ただ芸術として見てしまうことは容易だ。だが博物館のパネルはその読みに抗い、ポトラッチを太平洋北西海岸における統治の中心的制度として説明する。世襲の首長は招かれた証人たちの前で自らの権利、名前、領土の主張を公に宣言し、証人たちは食事を与えられ、自分が見たことを生きた記憶として世界に持ち帰る労働への対価を受け取った。フィースト・ディッシュは証人への支払いとなる食事を盛る器だった。ニスガ族の継承制度を説明するパネルがある。首長が亡くなると、母系の最年長の後継者がその役割を引き継ぎ、名前、レガリア、領土の称号もともに受け継ぐ。何百人もがその場に居合わせたという事実が、その移転を法にする。近くの展示では、彫刻像の横に額装されたインディアン法の写しが置かれている。1885年から1951年までポトラッチを禁止した連邦法だ。
展示の別の場所に、「つながりを取り戻す(Reclaiming Connections)」と題されたパネルがあり、クワクワカワクゥ族のアーティストであり研究者でもあるマリアン・ニコルソンの言葉が引用されている。
「わたしたちの祖先の品々の多くは、もともと儀式、場所、土地と直接つながっていました。それらは特定の権利を表し、法的文書として機能するものです。だから、もしそれらが単に美しいものに矮小化されてしまえば、その意味は変わり——もはやわたしたちのために語ってはくれません。これらの品々とその意味を、わたしたちの政治的行為と再び結びつける必要があるのです」
わたしはグレート・ホールに長い間立っていた。予定よりずっと長く。空調管理された大気のなかにポールたちがそびえ立っていた。何倍もの寿命を持つ建物の中で無期限に保存されている。永続を更新の失敗とみなす体系のために作られたものたちが。
Hold Fast(しっかりと握れ)
カンファレンスのオープニング基調講演はエリン・キッセインが行った。昆布愛好家として知られ、わたしたちのデジタルインフラが実際に何をしているかという問いに取り組む最も鋭い論者の一人だ。(この二つの事実には因果関係があるとわたしは信じることにしている。)講演のタイトルは「Landslide / Hold Fast(地滑り/しっかりと握れ)」。1964年のアラスカ地震——水を含んだ地盤が繰り返しの衝撃で液状化し、港ひとつが丸ごと海に滑り落ちた——から現在の情報環境まで一本の線を引いた。彼女の議論では、構造的に類似したことが今まさに進行中だという。公共の言論の確かな地面として機能してきた知識制度が内側から空洞化し、ノイズで浸水し、そして地面はまだ動き続けている。
彼女の処方は昆布の生物学に依拠していた。昆布のホールドファスト——昆布を海底に固定する根のような構造——は3つのことをする。コミュニティ全体を安定へとアンカーする。乱流の中に穏やかなゾーンを作る。外洋では生存できない何百もの種に隠れ場所を提供する。彼女は会場に、これらの性質をプロトコルレベルのインフラに組み込むことを考えてほしいと求めた。既存のプラットフォームに後付けする補修としてではなく、基礎的な設計選択として。リンクを循環させるだけではなく真の知識を統合するシステム。ジョークと戦争犯罪とミームの絶え間ないピュレから認知的・感情的な避難所を提供するシステム。コミュニティが吹きさらしの平原で絶えず領土を守らなくてもよいよう、構造的な保護を与えるシステム。
昆布を彼女は基盤種と表現した。いまそこに棲む生物群よりもはるか以前から存在し、その周囲に生態系の形そのものを作り上げた生物。できあがった姿をわたしたちは美しいと感じ、それなしの世界はもう想像できない。会場への示唆は控えめなものではなかった。アトモスフィアには窓がある——おそらく狭い窓が——その種の基盤になる窓が。まだ存在せず、まだ自らのために声を上げることもできないコミュニティにとって何が可能になるかを、そのアフォーダンスが形づくるようなインフラを構築する窓だ。
同時にわたしのなかに一つの問いが残り、カンファレンスの残りの期間ずっと反芻し続けた。このエコシステムにおけるホールドファストとは、いま、何なのか。プロトコルそのものか。プロトコルを構築しその支配的なアプリケーションを運用する企業であるBlueskyか。その上にツールを構築している独立開発者のコミュニティか。会場にいるすべての人々の間の社会的紐帯か。これらは同じものではなく、常に同じ方向を引っ張るわけでもない。
Joy(喜び)
Atmosphereカンファレンスでもっとも印象的だったのは、イベントそのものの感情のレジスターだった。これはテクノロジーカンファレンスとしては本当に異例なほど、喜びに満ちた集まりだった。
ブラックコミュニティとクィアコミュニティはATProtoエコシステムの中核をなしている。もっとも活発なビルダーの一部であり、カンファレンスはそれを反映していた。Blacksky——プロトコル上に独自のモデレーションインフラ、安全チーム、文化的空間を構築したBluesky上のブラックコミュニティ——が強い存在感を示し、より広いクィアコミュニティも同様だった。そのメンバーには、人々が実際に使うツールを形作っている開発者やデザイナーが多数含まれる。Cloudflareがスポンサーのアフターパーティーは、ライブのドラァグショーがあるドラァグバーで開催された。プロトコルカンファレンスについて書くとは思わない一文だが、このカンファレンスでは完全に納得のいくものだった。イベント全体が、多くの職業的文脈では許されない形で人々が完全に自分自身でいられる空間のように感じられた。そしてそのことがもっとも重要だったのは、ほかのどこよりもその経験へのアクセスが少ない人々にとってだった。
カンファレンス後の数日間、これらのコミュニティを構築し維持している人々が、それぞれ自分の言葉で、人生で最高の経験の一つだったと語った。もっとも幸せだったと。もっとも価値を認められたと。もっとも見てもらえたと。長年オープンプロトコルに貢献してきたエメリア・スミスは、リモートで参加し、「価値を認められるということ(On Being Valued)」と題したブログ記事を書いた。講演中に名前を呼ばれたことで、ようやく正しい部屋を見つけたと気づいた、「たとえ物理的にはそこにいなくても」と。
これはテクノロジーカンファレンスに対して人々が持つ反応ではない。自分のままでいていい場所を見つけたときの反応だ。マイノリティコミュニティはデジタルエコシステムの健全性のカナリアとして機能する傾向がある。プラットフォームが敵対的になったとき最初にそれを感じ、本当に安全なときも最初にそれを感じるからだ。ブラックとクィアの人々がプロトコルエコシステムの集まりを人生最高の経験の一つと表現するとき、それはソフトウェアの下に実際にどのような社会インフラが構築されているかについてのシグナルだ。
このカンファレンスはまた、エリン・キッセインが基調講演で指摘したことの実証でもあった。オンラインでは、好意的なコミュニティでさえ、あらゆる感情のレジスターを一つのフィードに流し込んで自らのコミットメントを処理する。その結果は一種の麻痺であり、深い喜びと深い関与の両方を封じてしまう。カンファレンスはそれを剥ぎ取った。4日間、自分たちが信じるインフラについて共に考える人々がいるだけで、感情の帯域がインターネットの残りの部分に奪い合われることがなかった。
Subculture(サブカルチャー)
わたしはしばらく前から、アトモスフィアはサブカルチャーとして機能していると人々に言ってきた。カンファレンスはそれを、オンラインのやりとりではどれだけ重ねても見えない形で可視化した。誰もが誰もを知っており、誰もが「誰もが互いを知っている」ことを知っている。ソーシャルグラフは濃密で、もつれ合い、相互に結びついている——業界に見られるものではなく、シーンや運動や芸術的サークルに見られる形で。サブカルチャーというラベルは、カンファレンスの異例の温かさと、その後数日間にオンラインで起きたいくつかの摩擦の両方を説明する。高い感情的投資と共有されたアイデンティティ意識を持つ濃密な社会ネットワークは、確実に強烈な帰属感を生み出す。そして確実に、その紐帯がストレスにさらされたとき、強烈な対立を生み出す。一方を生み出してもう一方を生み出さないバージョンのこのネットワークは存在しない。
アトモスフィアを古典的なサブカルチャーともっとも鋭く区別するのは、Blueskyのその中心における構造的位置だ。サブカルチャーは通常、制度的な核を完全に欠いているか、意識的に制度に対抗して自らを定義する。ATProtoのエコシステムには、1億ドルを大きく超えるベンチャー投資を受けた企業が存在する。プロトコルの主要開発者であると同時に、支配的アプリケーションの運営者であり、なおかつ自らが規範と情愛を共有するコミュニティへの参加者でもある。これは異例の配置であり、持続的な緊張を生む。Bluesky社内の人々自身が、同社は「本当のコミュニティのメンバーであること」と「開発者たちがBlueskyの構築を待つのではなく、実際にプロトコル上に独立したインフラを構築するよう後押しするために必要なわずかな敵対性」との間の綱渡りをしていると語っている。
We Can Just Do Things(わたしたちはただやればいい)
「We can just do things(わたしたちはただやればいい)」はカンファレンスのスローガンであり、公式Tシャツにプリントされていた。アトモスフィアのダイナミクスの一端を捉えている。プロトコルは開かれている、ツールは利用可能だ、エコシステムは歓迎的だ、アイデアを持つことと作ることの間の障壁は低い。
カンファレンス中、他のセッションが聴衆を奪い合わないよう特別に空けられた基調講演枠で、BlueskyはAttieを発表した。自然言語でほしいフィードを記述すれば自動生成されるAI搭載フィード作成ツールだ。
このツールは、ATProto上にカスタムフィード作成ツールを構築していた独立系スタートアップGrazeと直接競合する。Grazeの開発者たちはオープンプロトコル上での構築に時間と資金を投じ、カンファレンスを財政的にも支援していた。そしていま、プロトコルの主要開発者が集まったコミュニティ全体に向けて競合製品を発表するのを目の当たりにすることになった。業界用語で「シャーロッキング」と呼ばれる——プラットフォームがサードパーティツールの機能を取り込み、独立版を不要にすることだ。
「We can just do things」は、誰が言うかによって意味が変わる。独立開発者が言うとき、それはオープンプロトコル上で許可を求めずに作る自由を指す。支配的なアプリケーションを支配するベンチャー資金企業が実行するとき、それは同じ自由を指す——だが、意味を根本的に変える力の非対称性を伴って。どちらの用法も技術的には正しく、どちらもオープンプロトコルが可能にするものの表現だ。だが一方は、ホールドファストとそのなかに身を寄せる生き物たちとの間に緊張を生む。
これは、Blueskyにとっておそらく還元不可能なほど困難なポジションについての話だ。アトモスフィアはその中心に企業を持つサブカルチャーであり、その企業はエコシステムを可能にする基盤種であると同時に、製品を成長させなければ生き残れない商業体でもある。この二つの命令が一致するとき——カンファレンスの大部分ではそうだった——結果は、会場にいた全員が感じられた並外れた生成的エネルギーだ。一致しないとき——その後の数日間に起きたように——結果は骨に届く種類の摩擦だ。
カンファレンスの高揚と、その後の緊張は、矛盾する現象ではない。同一の基底構造の二つの表れであり、異なる角度から見ているだけだ。紐帯の密度が喜びをあれほど強烈にし、紐帯の密度が摩擦をあれほど深く切り込ませる。プロフェッショナルなネットワークは製品発表を吸収して先に進む。サブカルチャーはそれを、誰の仕事が価値あるものとされるのか、足元の地面は本当に確かなのかという問いとして受け取る。